では次に、海外における金融の歩みを見てみましょう。
欧米においても
financial system 1980年ごろまでは、それぞれの国でさまざまな規制がありました。とはいえ、英国や米国では債券や株式を使って資金調達するシステムが早くから整い、市場を通じて取引する有力な金融機関が数多くありました。米国の投資銀行(インベストメント・バンク)はこうした証券業務を専門に行うことで成長し、ネットワークを各国に広げていきます。
1980年代に入ると、大手企業の巨額な資金ニーズや、与信判断が難しい大型事業計画などが次々に登場します。従来の間接金融のシステムでは担いきれない状況が生まれ、取引のリスクを多種多様な投資家に分散できる直接金融の仕組みが、さまざまな形で用いられるようになりました。プロジェクト・ファイナンスや、融資と証券の手法を合わせたストラクチャードファイナンスも各国で利用されるようになります。そうした動きをリードをしたのは、市場を通じた取引の経験が長い英国や米国、欧州の有力金融機関でした。
コンピュータ技術の飛躍的な進歩が、金融取引や市場の拡大、金融技術開発を強く後押しした
市場を通じた取引が盛んになると、規制や制約は市場のメカニズムを妨げる要因になり、市場取引の魅力を奪ってしまいますから、「市場の自由度をできるだけ高めて、価格の形成などを市場原理(
construction system market principles)に委ね、政府は監視にとどまるべきだ」とする考え方が次第に支配的になりました。
金融の自由化にいち早く踏み切ったのは米国ですが、その後、1990年代後半にかけて多くの国が自由化に向けた金融制度改革を実施しています。なかでも、1987年に英国が行った大改革は「金融ビッグバン」と呼ばれ、歴史ある金融市場ザ・シティを大きく変えたと言われています。
また、
vhis金融のグローバル化が進めば進むほど、各国それぞれに異なる規制があるのは不便ですから、金融取引ルールの共通化を図るうえでも、自由化は必須のプロセスであったと考えることができます。
さらに、情報通信システムの革命的な発展と、コンピュータ技術の飛躍的な進歩が、金融取引や市場の拡大、金融技術開発を強く後押ししたことも見逃すわけにはいきません。